本当に信じることができる人・・・あなたのまわりに何人いるでしょう。
人を疑うことは良くないかもしれません。しかし世の中には善人ばかりいる訳ではありません。「真実を知りたい、そして相手を信じたい」・・・それは誰もが望むことです。
本当に相手を信じたいと思うなら、相手を知らなければ「確信」は持てません。最初から相手を信じることは、簡単にはできないからです。
そして、真実にたどり着くためには、勇気と覚悟が必要です。言葉にして伝える「勇気」と、真実を知ったときに失望するかもしれない「覚悟」です。
真実を知るためには、言葉にしないと伝わらいことも少なくないからです。
この「勇気と覚悟」が持てるようになれば、人は本当の意味で強くなり成長できるのではないでしょうか。そのためには、疑うことは自然であり不可欠なのかも知れません。
信じるためには疑うことは避けられない
人は何をもって相手を信じるのでしょう。ここで「信用」と「信頼」の違いについて知っておきましょう。
「信用」とは、「信じて受け入れる」という意味です。これまでの業績などの事実や根拠に対して使われる言葉です。
「信頼」とは、「信じて頼ること」という意味です。これから先に対する接し方を意味しています。
普段の生活であれば、単純な判断であれば「信用」、人としての関係であれば「信頼」と使い分けているのではないでしょうか。
いずれにしても、相手を知らなければ「信用」や「信頼」は得られないことは事実です。しかし人はそれを得たいと考えています。
得るためには「真実」を知り「確信」が必要であり、疑うことは避けられないのです。
疑ってこそ真実を知り確信に変わる
人は、心から相手を信じることは簡単ではありません。信じることは自分の人生にとって重要な判断であり、人生の分岐点になるかもしれないからです。
本当に信じる必要が無いのであれば、割り切ればいいのです。逆に本当に信じたいと考えるのであれば、どこかで信じることを決めなければいけません。
では何を基準に決めればいいのでしょう。
決めることができないのは、迷いがあるからです。どこかで決めるとすれば、迷いが消え解決したときです。迷いは、相手に対する疑いではないでしょうか。
本当に信じていいのか、いつか裏切られ見捨てられるのではないか・・・等、不安がつきまとうからです。
迷いや疑いは、すぐに解決するものではありません。当然、時間がかかります。しかし疑ってこそ真実を知ることができます。疑いが晴れれば確信に変わり、確信をもてれば信じることができるのです。
疑うことは、不自然なことでもなく罪ではありません。相手を信じるためには、疑うことから始まります。そして時間はかかりますが、相手を知って信じることができるのではないでしょうか。
「勇気と覚悟」は信頼関係を築く
信頼関係とは、お互いが安心して信じ合え、頼り合える関係のことです。信頼関係を築くためには、お互いを尊重し認め合い、時間をかけて関係性を積み上げていく必要があります。
前述した「信用」ではなく、「信頼」の意味合いなのです。
信頼関係は、お互いの気遣いだけでは成り立ちません。互いに意見を交わし、相手を理解し、歩み寄る必要があります。なぜならば、信頼関係は互いを高め合う関係でもあるからです。
信頼関係を築くためには、「勇気と覚悟」は欠かせません。自分の意見や気持ちを言葉にしないと相手に伝わらないのです。
確かに言葉は、相手を傷つけ不信感を抱かす場合があります。しかし信頼関係があれば、その言葉の意味が正しく伝わるのです。
人間関係は人生と同じで、「山あり谷あり」です。たとえ「谷あり」になり関係が壊れそうになったとしても、信頼関係があれば必ず修復することができます。
なぜならば、信頼関係は「お互いがお互いを必要とする関係」でもあるからです。
まとめ
人を疑うことは罪ではありません。相手を信じたいと望んでいるために「真実」を知りたいのです。「真実」とは、その人の本当の考え方や姿です。「真実」を知れば、信じることができるという「確信」が持てるのです。
そのためには「勇気と覚悟」が必要です。言葉にして気持ちや考え方を伝える「勇気」なければ、相手は気づかないからです。
「覚悟」にはリスクもあります。真実を知ったときに失望するかもしれないリスクを「覚悟」しなければいけません。
このように人を信じことは疑うことから始まります。時間がかかりますが、信じることができれば信頼関係にも発展します。信じられる人を作るために、人を疑ってしまうのは罪ではなく必要不可欠なのかも知れません。
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